7月6日。我が家に救急車がやってきた。
いやはや、参りました。
月曜日はやっぱり調子が良くなく、仕事をお休みすることに。「風邪引いちゃって…」ということにして。
まる一日お休みが出来たので、久しぶりになじみの整骨院に行こう、という気になって電車に乗って行ってきたのです。その帰り。夜8時頃。電車の中で事態は急変しました。
どきどきしだしたと思ったら、呼吸がはぁはぁ、となったのです。ま、この位は朝の電車の中でたまにある事だから、、、と自分をなだめていたら、どんどんと呼吸が荒くなって、肩で息をするようになってしまった。手に変な汗もかく。なんとか最寄り駅について、自転車にのって家につく頃にはのどの奥からひゅーひゅーと変な音がする位まで呼吸が上がっていた。
玄関を開けて、その場でうずくまってしまった。両親が私の異変に気づいて、とりあえず横になりなさい、といって部屋に上がって横になったけど、息苦しくて、息を吸うのも吐くのも苦しい。手足がしびれてきて、手が握りしめたまま硬直してきた。涙がぽろぽろ出てきた。これは、まずいと両親があたふたしだして、病院につれていくか、えぇ〜い、もうこういう時は救急車だと、danwa家初の救急車出動要請119番。
しばらくすると「ピーポーピーポー」と本当に救急車が家に来た(当りまえ)。救急隊の人が家に上がって来たけど、目を開けて見る事が出来ない。
そしたらドラマのように「分かりますかっ?救急隊が来ましたよ、もう大丈夫ですよ!」と肩を叩かれながら声をかけられた。なんか私の体に色んな物をつなげたりくくったりして、口に紙袋を当てられ、ゆっくりと息をしてくださいね〜、と言われ、その通りやるけど、うまく出来ない。苦しくて苦しくて頭ががんがん痛くて涙が止まらなかった。
受け入れ先が決まって、担架に乗せられて人生初の救急車の中へ。すごく苦しいのに、「もう最初で最後かもしれない…しっかりと見ておかねば…」と、ぐばっと目を開いた、、、けどよく覚えてない(涙)
病院に到着して、ドラマのERみたいな部屋に運び込まれて、なんだか周りがざわざわとしているうちに、私の左腕に点滴の針がぷすっと入った。まだ私はびえーんと泣いていて、なんかひたすら謝っていたような気がする。少しずつ息が落ち着いてきて、目が開けられるようになったら点滴は終わった。
どうやら私は「過呼吸」になったらしい。内科的な疾病(ぜんそくとか)でなるタイプと、精神的な不安やストレス、疲労などでなるタイプと2種類あるそうだ。私は明らかに後者のタイプ。
整骨院でちょっと先生が言った言葉がずしんと心にのしかかって、その事を考えて不安になってしまった事や、このところの精神の不安定な事とか、疲労、色んな事が重なってこういうことになってしまったのだ。
ここまでならないと私は自分の体の状態を知って、いたわってあげる事ができないのか、何度自分を痛めつければ分かるのか、もー、馬鹿さ加減にもほどがある。あぁ私、ごめんよ、こんなになるまで分かってあげられなくて、、、もう無理です、っていう信号はいくつも出していたのにね。
その日の晩は泊まる事なく家に帰った。点滴のおかげでふらふらぽわ〜ん。ふと母親の格好を見ると、家着のワンピースにウォーキングシューズという、なんともとんちんかんな格好で、父親はパジャマの上から半袖のシャツを着ていた。みんなてんぱってとりあえず家を飛び出して来たのだ、と申し訳なくなる一方で、今となれば笑い話だ。
会社には父親が状態を説明に電話をしてくれ(この歳になってかなり恥ずかしい…)1週間お休みをもらう事にした。課長は不在だったので、あらためて電話をします、と言って切ったのだけど、しばらくしたら課長直々にわざわざ、ゆっくり休んでください、お大事にしてください、と電話をくれた。
夜になって課長からメールが来た。
大丈夫?
貴女も家族もビックリしたんだろうね。
一週間と言わず、体調万全になるまで、ゆっくり養生してくださいませ。
ホントに無理しないよぉに!!
藤田のおっちゃんより
温かい心づかいにうれしくなった。私はいつも上司に恵まれている。
頑張らず、少しずつ元気になろうと思う。
うつの人が社会で仕事をしていくのは大変だ。私は会社に自分がうつである事はカミングアウトしていない。何度も言ってしまおうか、と思った事もある。でも、言った所で、どうなるのか。変に周りの人達に気を使わせてしまって、結局居づらくなるのはなんとなく目に見えている。会社側としてみれば、健康でばりばりと仕事をしてくれる人が欲しいのは当たり前で、そんな病気を持っているのなら完治してから、、イコール クビ?
う〜ん。その辺の折り合いがまだよく分からない。
今仕事を辞めてしまうと本当に世の中からドロップアウトしてしまいそうで怖いのだ。やはり、自分自身が精神的にも体力的にも強くなって、しなやかな人間になるのがいいのかな、と思う。木で言うと柳の木のように強い風が吹いてもゆらゆらと折れない木。今の私は杉の木のように、まっすぐで台風が来たらぼきっと折れてしまう。自分が変わらなきゃね。手を抜ける所は抜いて、頑張りすぎない。これが習得できれば怖い物なしだ。ただ今そのレッスン中。。。
月曜日はやっぱり調子が良くなく、仕事をお休みすることに。「風邪引いちゃって…」ということにして。
まる一日お休みが出来たので、久しぶりになじみの整骨院に行こう、という気になって電車に乗って行ってきたのです。その帰り。夜8時頃。電車の中で事態は急変しました。
どきどきしだしたと思ったら、呼吸がはぁはぁ、となったのです。ま、この位は朝の電車の中でたまにある事だから、、、と自分をなだめていたら、どんどんと呼吸が荒くなって、肩で息をするようになってしまった。手に変な汗もかく。なんとか最寄り駅について、自転車にのって家につく頃にはのどの奥からひゅーひゅーと変な音がする位まで呼吸が上がっていた。
玄関を開けて、その場でうずくまってしまった。両親が私の異変に気づいて、とりあえず横になりなさい、といって部屋に上がって横になったけど、息苦しくて、息を吸うのも吐くのも苦しい。手足がしびれてきて、手が握りしめたまま硬直してきた。涙がぽろぽろ出てきた。これは、まずいと両親があたふたしだして、病院につれていくか、えぇ〜い、もうこういう時は救急車だと、danwa家初の救急車出動要請119番。
しばらくすると「ピーポーピーポー」と本当に救急車が家に来た(当りまえ)。救急隊の人が家に上がって来たけど、目を開けて見る事が出来ない。
そしたらドラマのように「分かりますかっ?救急隊が来ましたよ、もう大丈夫ですよ!」と肩を叩かれながら声をかけられた。なんか私の体に色んな物をつなげたりくくったりして、口に紙袋を当てられ、ゆっくりと息をしてくださいね〜、と言われ、その通りやるけど、うまく出来ない。苦しくて苦しくて頭ががんがん痛くて涙が止まらなかった。
受け入れ先が決まって、担架に乗せられて人生初の救急車の中へ。すごく苦しいのに、「もう最初で最後かもしれない…しっかりと見ておかねば…」と、ぐばっと目を開いた、、、けどよく覚えてない(涙)
病院に到着して、ドラマのERみたいな部屋に運び込まれて、なんだか周りがざわざわとしているうちに、私の左腕に点滴の針がぷすっと入った。まだ私はびえーんと泣いていて、なんかひたすら謝っていたような気がする。少しずつ息が落ち着いてきて、目が開けられるようになったら点滴は終わった。
どうやら私は「過呼吸」になったらしい。内科的な疾病(ぜんそくとか)でなるタイプと、精神的な不安やストレス、疲労などでなるタイプと2種類あるそうだ。私は明らかに後者のタイプ。
整骨院でちょっと先生が言った言葉がずしんと心にのしかかって、その事を考えて不安になってしまった事や、このところの精神の不安定な事とか、疲労、色んな事が重なってこういうことになってしまったのだ。
ここまでならないと私は自分の体の状態を知って、いたわってあげる事ができないのか、何度自分を痛めつければ分かるのか、もー、馬鹿さ加減にもほどがある。あぁ私、ごめんよ、こんなになるまで分かってあげられなくて、、、もう無理です、っていう信号はいくつも出していたのにね。
その日の晩は泊まる事なく家に帰った。点滴のおかげでふらふらぽわ〜ん。ふと母親の格好を見ると、家着のワンピースにウォーキングシューズという、なんともとんちんかんな格好で、父親はパジャマの上から半袖のシャツを着ていた。みんなてんぱってとりあえず家を飛び出して来たのだ、と申し訳なくなる一方で、今となれば笑い話だ。
会社には父親が状態を説明に電話をしてくれ(この歳になってかなり恥ずかしい…)1週間お休みをもらう事にした。課長は不在だったので、あらためて電話をします、と言って切ったのだけど、しばらくしたら課長直々にわざわざ、ゆっくり休んでください、お大事にしてください、と電話をくれた。
夜になって課長からメールが来た。
大丈夫?
貴女も家族もビックリしたんだろうね。
一週間と言わず、体調万全になるまで、ゆっくり養生してくださいませ。
ホントに無理しないよぉに!!
藤田のおっちゃんより
温かい心づかいにうれしくなった。私はいつも上司に恵まれている。
頑張らず、少しずつ元気になろうと思う。
うつの人が社会で仕事をしていくのは大変だ。私は会社に自分がうつである事はカミングアウトしていない。何度も言ってしまおうか、と思った事もある。でも、言った所で、どうなるのか。変に周りの人達に気を使わせてしまって、結局居づらくなるのはなんとなく目に見えている。会社側としてみれば、健康でばりばりと仕事をしてくれる人が欲しいのは当たり前で、そんな病気を持っているのなら完治してから、、イコール クビ?
う〜ん。その辺の折り合いがまだよく分からない。
今仕事を辞めてしまうと本当に世の中からドロップアウトしてしまいそうで怖いのだ。やはり、自分自身が精神的にも体力的にも強くなって、しなやかな人間になるのがいいのかな、と思う。木で言うと柳の木のように強い風が吹いてもゆらゆらと折れない木。今の私は杉の木のように、まっすぐで台風が来たらぼきっと折れてしまう。自分が変わらなきゃね。手を抜ける所は抜いて、頑張りすぎない。これが習得できれば怖い物なしだ。ただ今そのレッスン中。。。
by danwa
| 2009-07-08 10:41
| 行った
半径2m以内の出来事日記。
by danwa
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自己紹介
2007年7月より「抑うつ」になりました。2009年3月に「抑うつ神経症」に病名変更。2009年11月に「神経症」になりました(うつは治まったらしいです)。2010年8月を最後に通院終了。今後は予防療法を模索して行こうと思っています。
こよなく愛するモノ:エレクトーン、グレープフルーツ、ふくちゃん(一緒に住んでるうさぎ)、バート・バカラック、ビリー・ジョエル、80〜90年代洋楽。
訪問させてもらっているブログ:
Someday
Blueberry Yogurt Parfait
こよなく愛するモノ:エレクトーン、グレープフルーツ、ふくちゃん(一緒に住んでるうさぎ)、バート・バカラック、ビリー・ジョエル、80〜90年代洋楽。
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